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Dec 28, 2009

書き間違い

最近は何だか怒ってばかりや、嘆きばかりなので、すこしおもしろいものをお見せする。

一昨年、地元の新聞に載っていた記事である。

爆笑問題とまちがえたのかなあ。

知らない人のために、正解は爆風スランプです。

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便利になること

年末恒例テレビの今年の出来事を見ていると果てしなく気持ちが暗くなるのは、私だけだろうか。

貧困。

就職氷河期。

デフレ。

失業。

いいことなんか一つもない。

とにかく仕事がないのだ。

そこで思ったのが、どうもIT化が進むと、どんどん仕事がなくなるのではないだろうか。

90年以降このIT化のお陰で職を失った人が多いような気がする。

便利になり、コストがかからなくて、バラ色のような技術がITであると信じてきた。

ところが、IT化すると、単純労働はまずなくなる。

たとえば、文書を届けていたおばさんは、必要がなくなる。

また、IT化が進歩すると、経験により給料があがっていく仕組みも崩壊する。

たとえば、レジがそうである。

以前は、レジ打ちをするには、経験が必要で、ベテランのおばさんは処理が早い。だからベテランのおばさんは、それだけ利益に貢献でき、高い賃金を払うことが出来た。

ところが、いまはバーコードをスキャナーでピっなので、経験は必要がない。誰でもすぐにベテランと同じ仕事が出来る。

こうなると誰でもよくなる。

便利になるように技術が進歩すれば、誰もが幸せになると思っていた。ところが現実はそうならない。

これからどうすればいいのだろう。

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Dec 22, 2009

サルがいたって、いいんじゃない

今日テレビのニュースを見ていたら、広島市の市街にサルが出没し、捕獲する騒動を報道していた。

広島市中心部の住宅街にサルが出没 麻酔入りの吹き矢でサルを捕獲

まあ、最近よくある騒動だが、いつもサルがいるだけで大騒ぎとなるこの日本はどういう国なのかという思いがする。

サルがいたって、無視していれば危険なんてそれほどない。なのにまるでトラでも逃げたかのように大騒ぎするのは、見ていて呆れるばかり。

なんでも近所の小学校は、授業を中断し、集団下校したそうだ。変質者なみの対応である。これも過剰反応としかいいようがない。教師もまったく野生動物の知識がないからねえ。

こういう騒動はきまって警察が出動して捕らえようとするが、なかなかうまくいかないのが常道。そりゃ当たり前でしょ。人間の犯人逮捕の訓練はしているけど、動物の捕獲なんて素人なんだから。その辺のオジサンがやっても同じなのに、警察官も可愛そうだなあと思う。

いやはや、この国の動物に関する知識や対応は、幼稚そのもので恥ずかしい。

それよりも怒りを覚えるのが、カメラで必要以上にサルを追い回す行為である。サルを追い詰めて危険な状態にしているのは、何を隠そう取材者ではないか。危険でない動物をあおって危険な状態を作り上げているのは犯罪行為に等しい。ダイアナ妃を追いかけて激突死させたパパラッチと同じである。国民以上に最低なのはマスコミの人間であることは間違いない。

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Dec 20, 2009

小学校理科には、「なるほど」「へぇー」がない

小学五年生の理科について、今、仕事で詳細にみているが、根本的な問題に気がついた。

さまざまな実験をおこなって、その現象を確認させるのだが、なぜそうなるのかという答えがないのだ。

たとえば、電流の働きの単元では、コイルに鉄の釘を差し込み、電流を流すと電磁石になることを確認させる実験がある。

実験でその通りやってみて、確かに電磁石になった。それでおしまい。

鉄心のかわりに、銅やアルミニウムを心にしてみると電磁石にはならない。どうして磁石にならないのかまでは触れない。

誰だって「どうしてだろう?」と思う。

科学とは、何でだろうと疑問を抱き、それを解決する行為である。「何でだろう」「なるほどね」が科学する心なのだ。ところが小学校では、疑問を投げかけておいて、そこでおしまい。

たしかに小学生にそれを理解させるのは、かなり困難である。だから触れないというのは、卑怯な気がする。教師が小学生に優しく教えられるように努力する必要がある。そうでないと学問に興味をいだかなくなってしまう。

動物の誕生の単元では、メダカの雌雄を見分けさせるという学習がある。オスはメスよりも尻ビレが大きく、背ビレに切れ込みがあることを教える。

ここで子どもは疑問を抱く。

「メダカのオスメスの見分け方を知って、どうなるの?」

確かに、人生であまり必要のない知識であろう。

見分け方を知っていることが目的になっているから、こういう疑問が湧く。

メダカのオスは、交尾をするときに、背ビレでメスの背中を押さえ、尻ビレでメスの総排出口を包むようにする。そうすることで卵が出てきたときに精子をかけて受精しやすくなる。メダカのオスのヒレが大きいのは伊達ではない。子孫を残すのに重要な役割を持っているのである。

形態の違いを知り、その役割まで知らなければ意味がないのである。記号のように違いを覚えたところで、小学生が言うようになんの意味もない。

きわめつけは、花粉の観察をする単元である。

ヘチマの花粉を観察させるが、指導要領を見ても、指導書を見ても書いてあることは同じ。

「花粉の特徴を捉えられるようにする」

で、ヘチマの花粉には、どんな特徴があるのか指導書を見ても何も書いていない。

いろいろな指導書をみると、「形のおもしろさに気付かせる」というのがあったが、これは科学ではない。気付かせてどうするのだ。芸術鑑賞ではないのだ。

花粉の形には、もちろん意味がある。虫媒花は、虫にくっつかないと運んでもらえないので、くっつくような形態をもっている。風媒花は、飛びやすい形をしている。そこまでやらなければ、花粉の形を観察しても学習にならないのである。

粉のような花粉を顕微鏡見ました。なんか変な形をしていました。

ただこれだけが今の小学校の理科教育なのだ。

どうやら、ここまで対応できる教員がいないというも実情のようである。しかし、これは算数で言えば、かけ算や引き算ができないのと同じだ。理科だから許されるというのは変だ。教科にヒエラルキーはないはずであるが、どうも実際にはあるのが現実。理科軽視でいいのだろうか。

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Dec 15, 2009

定例銀座調査とナレーション入れ

今日は定例の銀座カラス調査。

日の出が6時43分なので、スタートがゆっくりなのが幸いである。

しかし、時間が遅くなると高速道路の渋滞が始まってしまうので、朝5時に家をでた。しかし、すでに車は多く、もう少しで詰まってしまいそうだった。

カラスの方は、先月とほとんど数はかわらない。今日も一番カラス人気は西銀座のドトール前で39羽が群がっていた。先月はなぜかネットを被せていなかったすずらん通りのフグ屋は今日はきっちりと被せてあって、被害はなし。昨年一番人気だったフランス料理屋もネットをかけるようになり、カラスはほとんど来なくなった。やはり気にするか気にしないかの違いなのだ。

カラス調査の後は、ナレーション入れの仕事に。

久しぶりにPD卓にすわってキューを出す。ナレーターに話しはじめてもらうタイミングで出す合図のことをキューと言うが、ボタンを押すのと同時に「キュー」と口で言う。しかし、もうこれは古いみたいで、NHK以外では言わないらしい。

しかし、キューという習慣が体に染みついているために、どうしても口にしてしまう。こればっかりはどうしょもないのであります。

時代は思ったよりも早く進んでいるのだろう。

明日もナレーション入れだ。キュー!

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Dec 13, 2009

《本》カラスのお宅拝見!

昨日、本屋をのぞいたら、新しいカラス本が出ていた。

カラスのお宅拝見! 宮﨑学著 新樹社

カラスの巣ばかり、100巣。北海道から、九州まであらゆるところで撮影した巣の写真ばかりの本である。

なんでも巣から、ニッポンがよ~く見える!そうだ。

買ってみた。

確かにこう比べてみるとおもしろい。卵も薄いの濃いのいろいろだ。

自然の報道写真家と名乗る、宮﨑学氏ならではの本である。

まあ、これだけカラスの営巣木に登ったんだから敬服する。

それよりもペラペラめくっていて気がついたのだが、100巣のうち、ハシブトガラスは12巣しかない。ほとんどがハシボソガラスの巣である。

これはいったい何を意味しているのか。

ハシブトは東京中心にしか、人の側に巣がないのか。

それとも著者のセレクションが働いた結果なのか。

実に興味深い。

おそらく、日本中で見ると、人の側のカラスの巣の大半は、ハシボソガラスなんだろうと思う。

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Dec 09, 2009

悪文

今、久しぶりに映像の仕事していて、猛烈に忙しい。

その仕事の関係で、文部科学省が発行している小学校学習指導要領解説書なるものをはじめて読んだが、これがものすごい悪文であきれる。

例えば、

「ここでは、振り子の運動の規則性について興味・関心を持って追求する活動を通して、振り子の運動の規則性について条件を制御して調べる能力を育てると共に、それらについての理解を図り、振り子の運動の規則性についての見方や考え方を持つことができるようにすることがねらいである。」

どうです。ひどいでしょ。

一文に、いろいろな要素を盛り込みすぎなのである。

だいいたい、主語と述語の関係が変だ。

「ここでは、・・・・・・ねらいである。」

これは日本語として間違い。

日本の教育をつかさどる文部科学省の指導要領解説書がこの程度では、日本の教育は世界レベルからどんどん下落していくのはいたしかたないか。

添削する

「ここでは、振り子の運動の規則性について興味・関心を持って追求する活動を通して、振り子の運動の規則性について条件を制御して調べる能力を育てる。また、それらについての理解を図り、振り子の運動の規則性についての見方や考え方を持つことができるようにすることがねらいである。」

文章を二つにしただけで、だいぶ理解しやすくなった。

文科省の役人は、頭がいいのか悪いのか。

まあ、典型的な役人文章であることは間違いない。

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